土中深く眠る山の宝物、寒根(かんね)。寒根とは、希少な本葛(本くず粉)の原料となる葛の根のこと。たっぷりと澱粉を蓄える晩秋から新芽が出る春先までの数ヶ月の間に収穫したものが原料となる。その寒根を山に分け入って探し出し、クワとスコップだけで深い穴を掘り収穫する職人のことを、我々は敬意を込めて「掘り子」さんと呼ぶ。
今回、一人の掘り子さんの許可を得て寒根掘りに同行することができたので、その様子をレポートしたい。
掘り子さんの顔ぶれも多彩に
廣久葛本舗鹿児島工場がある鹿屋市などでは、葛のことを寒根(かんね)と呼ぶ。寒根は栽培されているわけではない。野山に自生しているものを掘り子さんが掘り出してくるのである。
では、寒根はどこに自生しているのか、それを見つけるために掘り子さんが山の中を隈なく探し回るのだろうか。いや、山を知り、山を畏れる山のプロほど無闇な行動は慎むものだ。ならば掘り子さんから直接聞き出そうとするが、「それは山が教えてくれる」と禅問答のような答えしか返ってこない。おそらく、山で生きる人間ならではの経験や勘を頼りにしているか、あるいは第六感のような嗅覚を持っているか、いずれにしろ何かしらの“企業秘密”を持っていると思ってよさそうだ。それはもっともなことで、宝物の在り処を他人に知られては元も子もない。
収穫した寒根は、鹿児島工場に持ち込み計量し、その重量に応じて収入が得られる仕組みとなっている。本葛(本くず粉)づくりは、廣久葛本舗と掘り子さんとの信頼関係によって成り立っているのである。
昔から農家の農閑期を利用して掘り子を兼業する人が多いが、最近は、掘り子の仕事に関心を持つ人が増えてきた。山の暮らしが好きで山の仕事を中心に生活している人、自然の恵みを糧にほぼ自給自足で暮らしている人、また、故郷にUターンして生計を立てようと頑張っている人など、顔ぶれも多彩になった。掘り子稼業は基本的に一人でやるため人間関係の煩わしさもなく、人に縛られることもなく時間も自由、この地方では魅力のある仕事だ。
山で生きる喜びを知る寡黙な背中
今回は、同行する掘り子さんの所有する山に入るが、国有林などに入る場合は廣久葛本舗からあらかじめ許可願いを出すことにしている。また、山に入る前には、山の神様にお参りを欠かさない。山の安全を祈願すると同時に寒根という山の恵みを頂戴する許しを乞うためもである。
今回の目的地は、徒歩ではふもとから半日以上はかかると思われる深い山の中腹。そこまでは新しくできた林道を車で行き、森の入口を示す場所に車を止めた。この近くに寒根があることを知った理由を掘り子さんに伺うと、意外にも「林道ができて車で来ることができるようになったから」だという。つまり、道ができるまではなかなか来ることさえ困難だったことが伺える。
掘り子さんの後を着いていよいよ山に入る。我々にとっては歩きにくい山道だが、スコップ2丁とクワを肩に担いでいるにもかかわらず掘り子さんの足取りは軽い。陽の光を遮る森の中は薄暗く我々の前後左右に人はいない。視界に入るのは木々の間を縫って伸びる山道と掘り子さんの背中、聞こえるのは自分の呼吸音と地面の枯葉や枯れ枝を踏む音、ときどき風が揺らす葉ずれの音や野鳥のさえずりが聞こえるだけだ。静寂な空間に長く浸っていると自ずと無口になる。なるほど口達者な掘り子さんが少ないことが頷ける。掘り子さんの背中は寡黙だが、孤独の影は差していない。きっと山で生きる豊かさを知っているからではないだろうか。
山道を数十分ほど上っただろうか、掘り子さんが立ち止まり前方を指差す。寒根のツルを見つけたのだが、見るとそれは大人の腕回りほどの太さがあり曲がりくねった樹木にしか見えない。我々は、民芸用品の籠などを作るせいぜい親指ほどの太さのツルを想像していたため、木と見間違うほどの太さに度肝を抜かれた。平地で見かける葛は地面をはうように育ち、葉があたり一面を覆いつくしているのが特徴だが、森の中ではツルが木に巻きついて育つため平地とは比べ物にならないくらいに成長するという。そして山の養分をたっぷり吸収するため根も肥大化するというのだ。
ツルの太さから推定すると約30年前後の寒根だという。この下にどれほどの“お宝”が眠っているのだろうか、期待が高まる。だが、掘り子さんの話では、ツルの大きさがそのまま寒根の大きさに比例するとは限らないという。長い間掘り子をやっていてもこればかりは掘ってみないことにはわからないのだそうだ。また、地上に出たツルは立派でも、イノシシが寒根の頭の部分をかじったため根が腐ってしまったものもあるという。イノシシも葛の薬効を知っているのだと掘り子さんは言う。
寒根掘りに徹したプロの道具
掘り子さんが持参した寒根を掘る道具は、ショベル2丁とクワ一丁だけだ。ショベルは、一般的な剣型ショベルと穴開きシャベル。スコップ面に穴が開いていることで土に差し込んだとき土離れがよく、粘土質や水分の多い土壌で使用するという。また、クワは「唐鍬」と呼ばれるもので、畑などで使う平鍬に比べてかなり小振りで刃の形が丸みを帯びているのが特徴だ。また、刃が厚く頑丈なつくりになっているので重量も重く、その重さを活かして掘り起こし作業ができるため体が疲れにくいというのだ。逆にクワが軽いと腕や腰に力が入るためすぐに疲れるという。
驚くことにそれらの道具の先端は刃物のように鋭い。常にサンダー(ディスクグラインダー)で刃先を研ぎ、手入れを怠らないという。穴を掘るときの体への負担を軽くし効率的に作業を行うためだ。寒根掘りとしてのプロ意識がのぞく。剣型ショベルは、かなり使い込まれて毎回研いでいるためか、刃先の剣型はすでになくなって丸みを帯びていた。
これらの道具が掘り子さんに全て共通している訳ではない。一人一人掘り方が違うため自分専用の道具をあつらえているという。穴を掘るときに立って掘るのが普通と思っていたら、なかには両膝をつきカヤック(カヌー)のパドルを漕ぐように体の両側を交互にショベルで掘り進める人もいるという。おそらくその方が体に負担が少なく疲れにくいのだろう。
また、道具を運ぶとき、肩に担いで運ぶ人、専用のデイパックなどに入れて背負って運ぶ人、背負子に乗せて運ぶ人などスタイルは様々だ。皆、無駄なエネルギーは使わないように、山の中での行動が速やかにはかどるようにと一見地味だがそれぞれに独自の工夫を凝らしているのだ。
掘り始める瞬間、アドレナリンが噴出!
ツルの伸びる方向と付け根の位置を確認すると、付け根の位置から1メートルほど離れたところに勢いよくクワを振り下ろす。寒根の大きさを想定し、それを掘り出すために必要な大きさの穴を掘るためだという。聞けばこの瞬間、一気に気持ちが昂りアドレナリンがドッと吹き出すのが自分でわかるそうだ。どんな宝物が出てくるのかと血が騒ぐのだろう。ちょうど金鉱を探し当てて一攫千金を夢見た19世紀アメリカのゴールドラッシュのようなイメージだろうか、他では味わえない掘り子ならではの醍醐味がそこにあるようだ。
ザクッ、ザクッと力強く地面を打つクワの音がリズミカルに響く。次にショベルに持ち替え、まっすぐ突き刺し、足で踏み込み、掘り起こして行く。我々が想像していたよりも大きな穴を掘り始める。穴が深くなるほど水分を多く含み掻き出す土は重い。冬季だというのに掘り子さんの額から汗が滴り落ちる。単純に掘り進めているように見えるが、そうではない。まるで土の中に隠れている寒根の姿がわかっているかのような躊躇のない掘り方だ。
少しの無駄もなく掘った穴の深さは、ついに掘り子さんの腰の辺りになってきた。掻き出した土はまさに山積みになっている。ツルの伸び方から根は地面にほぼ平行に伸びていると思っていたら途中から地中に向かって縦に伸びていたため、穴をさらに大きくする必要があったという。黙々と一心不乱に掘り進める後ろ姿は近寄り難く、まさに自分との戦い、一人で最後まで成し遂げるという揺るぎのない一徹な意志が伺える。
掘り始めてから45分が過ぎた。ようやく寒根の先端を捉えたのか、手鋸を取り出し、縦に伸びた部分の寒根約1メートル、横に伸びた部分約60センチの2つに切断し掘り出した。一つは大人の太ももほどあるだろうか、持つとズシリとした重量感だ。幸運にも穴を大きく掘ったため、もう一つ別の寒根が見つかった。こんな嬉しいこともたまにはあるようだ。
揺るぎない一徹さ、掘り子プライド
この日は2時間ほどで大小3本の寒根を収穫した。重量は全部で10kgほどだろうか。多いときは数十kgになることも珍しくない。それを掘り子さん自身が担いで、あるいは背負子にくくりつけて麓まで運ぶのだが、これも容易ではない。運ぶコツがあるというのだが、我々には俄に想像し難い。寒根を探し、掘り、運ぶ・・・すべてを一人でやり遂げる技術を持っているからこそ山のプロなのだが、強い精神力がなければ到底、宝物を手にすることはできないだろう。
この周辺には他にも寒根のツルを確認することができる。どうやらここは誰の目にも触れていない宝の山のようだが、掘り子さんはさっさと帰り支度を始めた。冬季は日も短く気温が急に下がるため、山では日が傾きはじめる前に仕舞うのが鉄則なのだ。その潔さにも感心しつつ我々も後に続いた。
寒根は貴重な本葛(本くず粉)の原料だが、その一方で繁殖力が強いことから樹木の成長を妨げる森の厄介者として駆除の対象にもなっている。手入れの行き届かない森林が多いなか、掘り子さんは山の環境維持にも寄与してきたと言えるだろう。
さて、この日の稼ぎはいくら程になるのだろうか。収穫した寒根を軽々と肩に担ぎ山を降りる掘り子さんは、満足げな笑顔を浮かべていた。